Nisshi

慶應通信 69期 秋入学 普通課程 文学部第2類  +好きなもの全部。

 

息苦しくなるとロックを聴く。

ロックは学生時代に初めて大好きになった人が好きだった音楽だ。

彼に会えなくなってから聴くようになった。

それまで、「ふーん」って言って、そっけなくしてたのに。

彼に会えなくなってから、その寂しさを埋めるようにロックを聴きまくった。

それは間違えなく彼の一部だったからだ。

 

私の半分、彼はそう表現できる存在だった。

だから、離れなきゃいけなかったとき、

心臓が半分持ってかれた、と、思った。

 

彼が居ない世界で、息の1つだってしたくなかった。

だけど、やらなきゃいけないことがあったから、

それを乗り越えたら、彼は戻ってきてくれるかもしれないと惰性で、

ぼろぼろだったけど、頑張っていた。

 

だけど彼は戻らなかった。

 

いくら私が好きでいても、半分だと、半身だと思っていても、

相手がそれを望まない時だってあるのだ。

もしかしたら、わたしが自由で居るために、必要なことだったのだろうか。

 

泣く泣く手放さなければならなかった彼は、

私が出会うべき誰かのために離れなきゃいけなかったのかい。

 

 

自分にとっては歯車の調律師のような彼の存在は、

自分の人生にとって非常に大きなものだということは事実なのだが。

 

 

最近はいろいろとわけがわからなくなってきている。

このわけのわからなさとは虚無のような何もない真っ白な処のど真ん中に置いてけぼりにされたかのようなそのわけのわからなさだ。

そんな中でも仕事や大学の勉強があるから日は経つし自分は生きている。

 

だったらまだ、

ティーンエイジャーの頃に感じていたあの混沌としたわけのわからなさのほうがいいな、と思う。

あのときのわけのわからなさは、次々とあふれてくる感情と現実世界での事件とちょっとしたことでも感じやすい年ごろで何もかもが自分にかかわっているかのような感じがして「生きている」感じがして、それがひどく憎らしかったのを覚えている。

今は夜眠れない日があっても「ああ、明日の仕事大丈夫かなぁ。遅刻しないようにだけしなくちゃな」くらいにしか思えない。

あの頃の「眠れない日」なんていったら、事件でしかなかったのに。

安心できる寝床が欲しいのは、人間に共通する欲求なのかもしれない。

 

今のこの「わけのわからなさ」は、自分が何も感じなくなってしまったかのように、

何が起きても、何があっても、「だから、なんだっていうんだ」と思ってしまう。

きっと心は傷ついているし、体にも少なからずダメージは受けているはずなのに。

まだモラハラに対して怒れている時はよかった。まだ、神経細胞が死んでいくような感覚を持っていられるときのほうがよかった。

今はもうすべてマヒしてしまったように、何も感じないから。

 

落ち着いた、といえば、落ち着いたのだろうか。

自分が道化を演じているような気持になってしまう。自分じゃない誰か。

誰かが求める「誰か」。

 

 

そう考えたら、まだティーンエイジャーのころ、自殺未遂を何回か繰り返してたあの頃のほうが「生」に執着していたなぁと思う。

今はもう、執着していない。

そんな矢先、弟が死んだ。事故だった。

一番この世が似合う男だった。私なんかより、ずっと。

 

私が逝けばよかったんだ、そのほうがよかっただろ。

 

 

――あいつが居なくなってから、4カ月以上経って、ようやく、

「あ、あいつ、居なくなったのか」と実感してきたので、

こういう時にふと隣にいられて、大事にされたりなんてしたら、

もう私の世界は安全じゃなくなってしまう。

 

 

 

 

優しくなんてしないでくれ、それ以上を求めてしまうから。

愛してなんてくれないでくれ、それに甘んじてしまうから。

甘やかさないでくれ、君に居なくなられるのが、怖いんだ。

 

 

 

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