ご冗談を!

 

 基本的に珈琲は苦手だが、マクドナルドのプレミアムロースト珈琲のホットであれば大丈夫である。ドライブスルーで150円ないしクーポンで130円のホットコーヒーを買い、自宅に帰りつき、自宅の冷蔵庫の中にあるアーモンドミルクを注いで飲むのが好きだ。

 

 今日は誰とも関わりたくない日だったので、最低限の会話をして済ませようとしている。夕方に友人の誕生日会があるから、それに向けて準備をしなければならないが、今日、日が昇っているうちは基本的に気を遣いたくないのと言葉を発したくないのとで正直メールも返していない。

 今日はしたくないことはしない日と決めた。少しばかり周りに迷惑をかけるかもしれないが、半年に1回くらいは許して欲しい。

 

 ToDoListを毎晩、次の日のために作成するのだが、それも最近はできていない。ToDoListを作っても、計画通りに私が行動しないのが悪いのだが、それにしても「やらなきゃいけないことリスト」は同時に「やりたくないことリスト」にもなりえる。このままでは生活の質は落ちるし、仕事のクオリティは下がるし良いことないな、と感じたので「今日はやりたいことだけをする日。どうしてもやらなきゃいけないこと以外はしない」と決めたのだった。

 

 正直、最近は朝食さえ煩わしい。おなかがすいてくるのでお昼は食べるが、一日一食でも構わないではないかとさえ思う。もちろん、おなかがすいたり、必要だと思えば食べるけれど、無理して、朝食→昼食→夕食、なんていうステップを踏まなくてもいいのではないかなと感じたので最近は食べたいときに食べたいものを味わって食べるようにしている。そうしたら、変なストレスが1つ消えたような気がする。

 しかし今朝は、ツナメルトを作って食べた。久しぶりのがっつり系朝食。食べた時間が10時頃でほとんどブランチだったから、14:30になった今でもお腹はすかないし、自然と満たされている気分である。昨晩からツナメルトを作って食べようと決めていたからだ。

 

 毎日仕事をするのが美徳だと考えられているが、逆ではないかな、と思う。

 仕事が楽しくていたら、気づいたら毎日仕事をしていた。となる方が正しいと思う。もしくは「お金の為に働いていたら、いつの間にか休みなんてとっていなかったよ」。

「毎日仕事をしよう!結果休みがない!」とは、同じ現象だが、雲泥の差である。

 

 

 午前中はたっぷり時間をかけて、せっかく3週間ぶりの何もない日なのに連絡を寄越してきた同僚に向かって鏡の前で悪態をつきながら(風水上あまりよろしくなさそうだ)、メイクをした。――悪態をついている時は鏡を見なかったから、ギリギリセーフかもしれない。―― 着替えをして、メイクをして、髪の毛を整えて、本を読もうにも集中できなさそうだったので鞄に一通りの荷物を詰めて県立図書館へ向かった。昨日、調べた感じ、私が読みたい本は市立図書館にも県立図書館にもあったが、市立図書館のほうが貸し出し中だったので県立図書館へ行くことにしたのである。

 その前に母に「週末は来るのか」とメールを入れると「土曜日は午前中。日曜日は一日大丈夫」との返事が来たので、土曜日の午前中は少し仕事を一緒にして、日曜日はランチをしながら会おうと提案すると快く了承してくれた。

 県立図書館へ車を走らせている途中、ラジオを聴くと、いい感じの洋楽が流れてきたので「早く欧州へ越したい。せめて東京へ越したいな」と考えるようになっていた。個人的に名古屋が最近一番好きな場所なのだが、私が住むには少し人間関係があり過ぎるとも思った。仲の良い人が名古屋に5人ほど住んでいるのだが、それが面倒だなとも感じるのだ。東京であれば、さほど問題はないだろう。なので、日本の中で越すとしたら東京であるし、海外であれば、ニューヨークには4年は住みたいと考えている。

 丸一日、本当に何もない日が欲しいと感じていた。ただフラッと散歩に出かけたり、いい天気だなと思いながら布団を干したりする、そんな何もない日。

 自営業をしているからこそ、必要なのかもしれない。休みをもらうのではなく、自分で作らなければいけないから。やるべきことが多くある中で、どれをどうするかのスケジュール管理や自分と向き合う時間ももちろん必要だからだ。

 

 図書館につくと、探していた本を手に入れるために伝票を印刷する。そして、カウンターに居るスタッフに渡した。すると「この本は書庫にあるので、持ってきますから、カードを準備してお待ちください」とのことだった。彼の仕事をありがたく思いながら利用カードを財布から出して待っていると彼がやってきた。その本は「ご冗談でしょう、ファインマンさん!」というノーベル物理学賞受賞者の自伝で、たまたまSNSを眺めていた時に見つけた作品だった。「自分は自分が思うほど頭がよくなかった」というようなフレーズが気になり、少し調べてみて、この本を読んでみようと思ったのだった。

 本を受け取ると、この前県立図書館へ来た時に気になっていた本を数冊取り出し、閲覧席へ座った。20分ほどそこで、新書を斜め読みしたり、パラパラと参考文献を眺めたりして、自分が今度手に入れるべき本を吟味していた。そして、やはり自分は医学を志したいこと、科学に恋をしていることを再確認した。自分には、これは「好き」なのではなく、「必要なのだ」と確信した。

 ノートにメモと思いのたけを書き、閲覧席を立った。

 帰り、駐車場へ向かう途中、県立図書館にあるウォルナットの木のまわりにどんぐりが落ちていた。どんぐりは好きだ。ナッツが好きなので、どんぐりももちろん好きだが、落ちているどんぐりは、なぜだかわからないがとても魅力を感じる。前世は鳥か何だったかなのだろうか。だとしたら、私がトナカイ好きなのは、前世が鳥で、疲れた時にそのトナカイのツノにお邪魔していたのだろうか。

 

 さて、図書館から帰ってくる途中、お店の家具を買おうと考えて東京インテリアに寄った。東京インテリアの中にあるモアカフェというカフェで「ヘーゼルナッツラテ」をオーダーする。400円のぜいたくである。ラテを堪能したのち、買おうと考えていたラックのそばに来て、「本当にこれでいいのだろうか」と感じ、いったん自宅へ帰ることにした。「これじゃないとダメだ」と確信するまで、あまり購入に至らないのが私のいいところでもあり、おそらく悪いところでもある。――帰ってくる途中で、マクドナルドでドライブスルーを使い、コーヒーのMサイズを購入した。同時にSサイズも買えばよかったかと思ったが、家に帰ってきて、アーモンドミルクをコーヒーに注ぎ、飲み終えた後で少し頭痛がしたから、「あ、これは、コーヒーの吞み過ぎだ」と直感した。

 

 

Don't Let me go

 

市立図書館から、

「君が読みたいって言ってた本、届いてるよ」

と、メールが来た。

 便利な世の中になったなあ。だけど、ちょっとした手間も愛しいと思うよ。

 

今日取りに行く予定だったのだが、思わぬハプニング――と、言っても私の責任――が起きて、行けなかった。仕事を終わらせて、帰宅したのだが、今週末の試験に向けて勉強中だ。

 

正直勉強は嫌いではないけれど、いかせん、久しぶりなので、少々緊張している。

なにより、勉強を全くしていないのだ。今慌てて勉強している。

 

 

 

そうえば、大学からスクーリングの成績が届いた。

『S』の意味が理解できなくて、大学の成績について調べた。

もしかしたら学生ガイドに載っていたのかもしれないが、ちゃんと把握できていない。

S…ショボい?、と父にいったら、「Aの上のことじゃない?」と言われたので、

「すんばらしいってことかな」と言ったら、父は笑った。

 

 

-------------------------------------------------------------------------------

仕事で精神的に疲れ果ててしまっていて、

今日やっと素直に「私は疲れ果てました」と言えたのだ。

もう辞めたい、と思ってしまった。会社のことは好きだ。商品群もサービスも何の不満もない。むしろ満足だし、さらに上を目指したいと思う。

ただ、自分の部署につかれた。仕事は好きだ。実にやりがいを感じるし、全国に好きな先生も居る。

だけど、同じ部署の人間につかれた。非常に疲れ果てたのだ、と。

嫌いなわけじゃないのかもしれないけど、それでも、疲れたのだ。付き合い方とか、距離の置き方とか、空気の読み方とか発言の仕方とか内容とか。全部考えなきゃいけない。ただでさえ考えているのに、更に考えなければいけないのだから。

私がやりたいことができないのだ。どこでもそうかもしれないけれど。

幸い、私に上司や直属はひとりだけではないので、(紙面では1人ずつだが)

他の先輩が「和さんってすごいよね」とか「和さん、うちに欲しいなあ」とか、言ってくれるのは素直にうれしい。本心だろうが建て前だろうが。

「どうなの、最近。」と声をかけてくれる尊敬すべき先輩。

「元気?」とメールをくれる、先輩。「がんばれ」と言ってくれる先輩。

「和先生が、好きなんです。憧れです」って言ってくれる、後輩。

ありがたいなあ、と思う。

「これ、のどちゃんに。のどちゃんだけにだよ」とお土産をくれる先輩。

ぜんぶ、ぜんぶ、ありがたい。私なんてとは言わないが、優しくしてくれてありがとう、親切にしてくれて、大事にしてくれてありがとう、と思う。

 

甘え方がドヘタで、面倒見のいい同期兼先輩に「ねえ、ここ、痛い」っていうところとかも、受け入れてくれたり。「やっぱり、やんなきゃよかったかな」と弱音を吐いても受け止めてくれること。「おいで」っていってくれるとこ。ぜんぶ、ぜんぶ。感謝です。ありがとう。

 

辞めたいって泣いちゃいたいけど、困らせたくなくて、明るく振る舞ってるんだ。

もしかして、わかっちゃってるのかな。つらいんだって。

 

地元・福島が嫌とは言わない。良い人はたくさんいる。素敵なビジネスマン、自営業者もたくさん居る。勉強になる。自営業じゃなきゃ、こんなに広がらなかったと思う。この仕事をしていてよかったと思うことのほうが多い。

だけど、結局私を救ってくれるのはクライアントさんであり友人でしかないのだ。仕事の上司や部下ではないのだ。仕事の中で、上司や部下、同期、代理店と取引先、という関係を越えて、友情を育みたい、親しい関係、信頼関係を育て上げたいと思うのだ。

 

だけど、とりあえず、自分の直属とは無理だとはわかっている。

今更友情を築けるほどの間柄ではなくなってしまっているから。

 

 

 

私は基本的に人を嫌わない。

どんな相手であろうと親切心と思いやりを持って接しようと努める。紳士的且つ淑女的に。

好きな相手や友人に対しては、それにプラスして、愛情とスキンシップが加わる。

 

それだけなのだ。

ニコニコして親しくしているから、君を好いているとは勘違いしないでほしい。

 

表でニコニコ笑っているけれど、裏で君らをボコボコにしているんだよ。

あなたのこと心から大事に思っていますよって顔しているけど、本当は今にもその喉元に噛みついてしまいたいと思っているんだよ。平気な顔をしているけれど、毎回ちゃんと傷ついているんだよ。君に出世してほしいんだって顔しているけど、本当は奈落の底に落ちてしまえと思っているんだ。あなたに向上心を持ってほしいと言っているけど、本当はもっとちゃんとやってくれと思っているんだ。君たちの幸せを願うよと言っているけれど、本当は君らなんてどうでもいいから私の前から姿を消してくれと思っているんだよ。いつもお世話になっているからと世話を焼くけど、本当は呪いたいくらいなんだよ。

表に出せるわけないだろう、こんな、みすぼらしいジブンをさ。結局は嫉妬が根底にあるんだろうなと思っている。自分はその程度で満足できる君らがうらやましい。その程度で愛を語れる君らをうらやましがっている。その程度のくせにある程度出世しちゃってる君がうらやましいと思っている。向上心を持たないくせに周りから支えられているあなたをうらやましいと思っている。ちゃんとやらないくせに偉そうな顔が出来るあなたをうらやましいと思っている。出会うべき人に出逢って幸せそうな君らに嫉妬している。いつも世話をしているとニコニコしていい子ぶらなきゃいけない自分にいらついている。

 

音楽がなけりゃ、英語がなけりゃ、素敵な友人がいなけりゃ、私の人生は音もたてずにすべてが消え去ってしまうんだ。

 

 

ブックカバーを探す旅

 

ブックカバー。

英語圏ではほとんど使われていない、日本独自の文化。らしい。

今はスマホで読める時代、それでも紙の本は紙の本のすばらしさがある。

私は出かけるときの持ち物リストに文庫本を入れている。

入れていて読まない時もあるのだけど、入れていなくて待つ時間があったりもするから、基本的に本は1冊は持ち歩くようにしているし、仕事の出張であっても、本と大学の教科書は持って歩く。

その時、重宝するのがブックカバーだ。

 

 

ブックカバーを始めて買ったのは、私が東京に出た時。

電車通学になったので、その間本を読みたいと思ったのだが、

東京は人が多いし、

自分が何を読んでいるか悟られたくないと自意識過剰なことを思った。

地元では本を読むと言ったらもっぱら自宅であったし、

当時、中古本がなかなか嫌だったので、当時は新品の本しか買わなかった。むしろ今より読書量はずいぶん少なかった。

 

 

その時のブックカバーがずいぶんとぼろぼろになってきているので、

ブックカバーを新調しようと考えているのだ。

 

しかし、なかなか気に入るブックカバーに出会うことって、ないなぁ。

私のこだわりが強いせいだとは思うのだけれど、

「これ!」というイメージもないのでインターネットショッピング出来るわけでもない。

 

 

うーむ。ちょっと困ったぞ。

とりあえずは、いいな、と思った柄を紙に印刷して、使おうかな。

今夜は何も云わず傍に居て、

 

 

昔のロマンス映画のようなタイトル。

 

f:id:hrmnn:20180929002039j:image

 

なんだか疲れてしまって、

そんなときにプラネタリウムが家にあったら、とか、考えてしまう。

 

自分への誕生日プレゼントに買おうかしら。家庭用プラネタリウム

 

 

昨日友人とディナーに行ったんだけど、

彼はアメリカ人で、会話は英語。

私は最近勉強をサボっていたばかりか、

なぜだか邦楽を聞くようになってしまい、

ほとんど英語から遠ざかっていたため、

ちゃんと綺麗な会話が成り立たなかったけど、

たどたどしい英語を話すことを「可愛い」って言ってくれたおかげで、安心して話すことが出来た。

 

 

そして、

外国語を話す人と一緒にいることが

妙にしっくりきすぎたりもした。

 

 

 

f:id:hrmnn:20180929011051j:image

 

 

 

 

大好きな地元の湖。

 

 

 

お仕事がんばりながら、

人生もがんばるぞ。

 

 

 

 

 

 

 

弟の一回忌

 

 

日付が変わった。

今日は、2番目の弟の命日。

 

私の、3つ下の弟。

去年 私は 24歳だったので、

弟は、21歳だった。

 

 

1年経つが、

未だに 現実として 受け入れられない。

 

世界のどこかで生きている気がする。

どこか遠く、フィンランドかどこかで。

あの子が笑顔で居れる場所で。あいつがフィンランド好きかどうか知らないけど。

 

受け入れたくなくて、

お墓参りも行ってない。仏壇にお線香すらあげないし、お土産を備えることもしない。

 

お墓は、葬儀の時に、行ったっきりだ。

葬儀の時さえ、

周りに気を配り、お酌をし、お礼を述べた。

父親は、あてにならなかったから。

私がしっかりしなくちゃだから。

 

親戚は 軽く見られるからやめろと言ったが、これは最低限の礼儀だ。

 

 

あいつは死んでない。

私の基本的な考えは、コレだ。

受け入れられない。

周りは 綺麗に 受け入れられるのに。

 

 

思いっきり泣けたらよかったんだろう。

私は泣けなかった。

ショックで 涙が零れただけだった。

 

 

信頼できて 自分の頭を預けられる胸を 与えられたら、私は泣いたのかもしれない。

私には、それがなかった。

 

 

「いつかは、死ぬから。」と、

同僚や親しい人からの憐れみを同情を、ふりほどくだけだった。

 

 

私の弱いところは、

世界中でたったひとりだけが

知ってればいいのだから。

 

「若い時に死ねてよかったな」とさえ

思った。

よかったな。綺麗なうちに死ねて、。

……ほんとうは、一緒に大人になりたかったくせに。

 

 

生きてて欲しいとは思わなかった。

ただ、私の方が先に死ぬと思ってたから、不意打ちをくらっただけ。

 

 

私の何百倍も愛されている弟が死んで、

なぜ私が生きているのか無念だった。

私が死ねばよかったのに。

きっとあいつの生は、

私のそれより何十倍も意義がある。

 

 

なぜ私が生き残らねばならなかったんだろう。

私の生は、誰の心にも残らぬだろうに。

私の人生は、私のためでしかないのに。

 

それに対して、

弟の生はまごうこと無く、

他人との共有物であった。

 

 

 

この間、仲のいい先輩に、

「大変だったね、あの時。」と言われて、

心に闇が落ちた。

数少ない、私が安心して話せる人だからだ。

安心感をくれる人の前では、心は素直に反応して私にその気持ちを教えてくれる。

 

思いっきり、泣かせてほしいと思ったが、同時に「この人を困らせてはいけない」と自制した。私のせいで、この人を、この人との間にある空気を失うのは嫌だ。この人と離れなきゃいけない理由を作りたくないから、。この人とは、ずっと友情で繋がっていたいから。

 

すがりついて、今だけ泣かせてほしいと言いたい気持ちを抑えて「あの時は、ご迷惑かけてすみませんでした」と答えた。

「実を言うと、無理矢理聞き出したんだ。上司本人のために言っておくけど、連絡しあっているのを、俺が聞いたんだ。そして、問い詰めて。俺にならって教えてくれたんだ。きいてごめんね」って。

気にかけてくれてる人がいたという、事実にすら泣きそうになった。

私なんて。気にかけなくて、いいのに。

私のことなんてほっといてくれて、いいのにさ。

 

「ありがとう、」て、伝えた。

自主的に、私を知ろうとしてくれて、ありがとうございますって。

 

 

だから、今でも大好きな担当さん。

この人は、ダメなことはダメっていうから。

この人はちゃんとしてるから。

 

私のすきは、独特だろう。

安心感をベースに感じなければ、好きにならないから。

 

 

一回忌。

長男弟が帰ってくる。

私は長男弟と相性が悪いので、

たまに衝突する。

傷つけあうんだ。だいたい、メンタル弱い私が根に持つ。

 

 

一回忌って何すればいいんだろ。

拝んでもらうなんて、

やめろよ、弟が死んだみたいじゃんか、と思う。

ばかだな。

一年前に起きたことなのに。

 

 

 

後になって、

泣いた時に、受け入れられるのかも。

今の私には無理な問題だから、

未来の私に頼もう。

 

その頃はもう ひとりぼっち じゃないだろうから。

 

 

 

明日も、

ちゃんと「お姉ちゃん」をしないと。

 

 

頑張んないと。

 

 

 

 

元気そうでよかった、だって。

元気なのは、そこがオフィシャルだからだ。

元気がなくても元気そうにしてなくちゃ、だろ。もうティーンエイジャーじゃないんだから。

 

 

顔本でも、

実は弟の一回忌、明日ですってpostした。

自分で受け入れなきゃいけないことだったから。

余計なことしただろうな。

 

 

それで私のこと嫌うならそれでいいよ。

 

 

 

 

 

 

明日は、一回忌を済ませたら、

夕方 友達に会いに行く。

 

 

 

ちゃんと、

予定を終わらせないとな。

頑張んないとな。

 

ガールズアンダープレッシャー―ダイエットしなきゃ!!

 

 

学校から、夏休み等の長期休暇の時に、図書の注文票が渡される。

それは封筒型かチラシ型で、注文したい本にチェックを入れて、本の金額ちょうどのお金と共に担任の先生に渡す。そうすると数日後に本が先生を経由して渡されるというシステムだ。

 

小学4年生の時、「ガールズシリーズ」の第二弾である、「ガールズアンダープレッシャー」を買った。私は当時からポッチャリというよりはでっぷりタイプだったのだ。

「ダイエットしなきゃ!」というサブタイトルだったので、私はティーンエイジャーのためのダイエット本だと思っていたのだが中身は違った。

 

見た目や体重を気にするあまり、拒食症になりかけてしまう、女の子の話。

(実際に同じ学校の子は拒食症になり、すっかり痩せこけてしまって、入院する。)

 

一回は手放したものの、最近また私の本棚にやって来た、ガールズシリーズ。

中学生の時も読みふけっていた。私にとっては外国のティーンエイジャーの話だった。

本を読んでは、「私にもブロンドの彼が出来ないかな」とか「素敵なロマンチストと恋がしたい」と思ったりした。

 

とても読みやすいので、大人にもおススメである。

イェルサレムのアイヒマン/ハンナ・アーレント作 大久保和郎訳/みすず書房

 

イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告

 

 

市立図書館の予約待ちで、ようやく私のところに来てくれました。

スクーリングの時に「ハンナ・アーレント」という映画鑑賞会をした際、

教授が「イェルサレムアイヒマンを書いた。図書館にあるから読んでみて」とおっしゃってたので、

読みたいなあと思っていたのですが大学の図書館ではもう貸出されていたので、

地元に帰ってきてから。

 

ノートを取りながら読書するのは初めてではないけれど、

しっかりノートを取って、疑問点を書き出して、自分なりの答えを導き出して…のプロセスを踏んでみている。

 

 

 

ドイツ語も勉強しなければいけないなあ。化学のレポートも出さないと。

ランキング参加してます!ポチポチお願いします(*'ω'*)
ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 大学生日記ブログ 通信大学生へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自由人へ にほんブログ村 大学生日記ブログへ